子どもを持つという経験は、現実にそうならないとわからない事が多すぎる。そして現実になったら永久に続くんだな。
私には実の子どもが1人、継子が2人いていわゆるステップファミリーを運営してます。
今流行りの晩婚で実子は30代後半に出産。結婚するまでは仕事大好きな企業人。一人暮らしで気ままに暮らしてました。
ある日出逢った今の主人と結婚することになりしかもいきなり2人の子供。まぁ最初は戸惑いもありましたが、悩みながらなんとか日々を過ごしています。
結婚して1年半ほどして実子を出産。生む前は「自分の面倒でさえ大変だと思っているような私が子供を一から育てていけるのか?可愛がってあげられるのか?」とお腹にいる我が子に不安を覚えていたし、実際出産し病院で過ごしていた10日程は、(帝王切開で開腹手術をしていたので)お腹は痛いし子供は壊れそうにちっちゃくて可愛いけどどう触れていいのかわからない、あふれてくる愛情という程のものを感じられなくて、助産師さんに泣きながら不安を吐露したこともある。
しかし、今は子どもを生み育てる事の幸せ、尊さ、素晴らしさ、語り尽くせないほど、実感しています。
人生に於いて我が子ほど自分に影響を与えた存在はない。
結婚前は、
『結婚したら旦那より子供!なんて言ってるヒドイ女性多いけど、私は絶対ダンナ様が一番の妻になる!!』
と鼻息荒かった私ですが、あっさり子供一番になりましたから(笑)。勿論ダンナ様も大好きなんですが、子供の存在のデカさは半端ないです。
だからといって、毎日菩薩様のような穏やかな優しいお顔で過ごしているわけではなく、子どもが言うことを聞かなかったら鬼婆のごとく怒りますし、片っ端から好き放題おもちゃを順番に遊びたくってその後ろを片づけながら追いかけていると、コイツしばいたろか、とも思います。
我を忘れて怒鳴り散らしてしまい、子どもが何とも言えない可哀そうな表情で「ママ、ごめんなさい…」と蚊の鳴くような声で言っているのを聞いてハタと我に返り、
はっっっ・・・、私ってば怒りすぎ我忘れ過ぎ・・・と(いう瞬間はたびたび起こる)思ったら、都度都度できちんと我が子に怒りすぎてしまったことに対して謝り、なぜ怒ったのかを説明するようにはしていますが。
まぁそれにしても、子どもというのは、じっとしてないし言うこと聞かない生き物なんですね。それを念頭に置いて付き合っても、こちらの神経は足らないことの方が多いというもんです。
それでも、昔の人はよく言ったもんです。
子は宝。
本当にその通り。
宝物、です。
私は今の主人と結婚する頃に決めたことがあります。それは「今までは自分のために時間をお金を使い人生を生きてきたけど、これからは大切な他の誰かのために、自分の時間、お金、そして労力を使って生きて行こう」と。
その覚悟をしていたおかげで、何とかこれまでも過ごせてきたし、これからも過ごしていくつもりです。
「子どもを持つ」ということは、その覚悟をしても余りあるほどのパワーを使わないといけないことで、ほんとに色んな「大変なこと」が起こるし(うちの子は健康な子どもですが、アレルギーとか子どもよって色々な大変さがあって、それに加えて日々の大変さが起こるわけだから、二重で大変な人には頭が下がる)、もちろん自分の自由なんて最初から望めないわけで、私もこうやってブログ書くことも、書きたいと思うからやってるけど、ほんのわずかな時間を割いてやらないと出来ないわけで、だから、子どもを持つ、ってことは相当なパワーと手間と時間とお金を必要とするんですよね。
今はネットを使って色んな情報を集めれば、それ相応の「育児に関する」情報って出てきます。少しは私もお世話になりました。
でも、知識として知っているのと実際にやるのとでは、天と地ほどの差以上、宇宙と深海ほどのギャップがあるわけです。そして、実際にやらなあかんようになったときは、その現実はずっと続くわけです。
赤ちゃんが泣く時は、おむつが気持ち悪かったり、お腹が空いたりしています。
新生児の赤ちゃんは昼夜問わず、ミルクを欲しがります。
赤ちゃんは好奇心いっぱいですから、赤ちゃんが触らないよう手の届かないところにものを置きましょう。
なんて文字情報が並んでいます。何か文字だけ見ていると、すごく穏やかなクラシック音楽が小さな音で流れている部屋でにこにこ赤ちゃんと過ごしているような気分にもなりますが、これが現実なら全然違う風景となります。
特に新生児~6か月ほどは、お母さんは夜中も起きて赤ちゃんのお世話をしますから、日中は髪はぼさぼさ、ひどいときはパジャマのまま過ごします。
赤ちゃんが泣いていると、お母さんも焦ります。あれかな、これかな??おむつ?ミルク?おもちゃ?結局 抱っこかーい。というわけで、しょっちゅう抱っこしてます。私は自分のトイレ時も、抱っこひもで連れて行き用を足していました(こういうお母さん多いんじゃないかな、最近は抱っこひもデフォルト化しつつあるし)
抱っこで眠ってくれたら、抱っこから降ろすのも一苦労。そーーーっとそーーーっとそーーーっと。ベビービョルンだと、ベルトと本体別々だからベルトから外しながらそーーーーっと降ろしたもんです。懐かしい。
そんな新生児~寝転がっている時期、こんなに大変な日々はかつて今までなかったゾ!!!大変だゾ!!!と、夜中起きる子どもの面倒を見ながら横でぐうぐう寝る父親の存在はないものとして耐えるのですが、寝転がっているまでが天国だったと分かるのは、その時期が終了してからなんですな。これが。。
寝返りをうち這い這いをし自分の赴くままに動けるようになってくると、さらに大変になる。そのあともずっとずっと、成長が進むたびに、喜びもたくさんありながら、その年齢に応じた大変さが待ったなしでやってきます。
こんなこと、現実に起こらんとわからん。大変やでーって教えてもらっても、わからんわ。
だから育児放棄とかネグレクトとか起こってしまう若い人たちの心情も、0.001%位はわかる。しかし可愛さの方が勝つ、はずなんだがな。。。
育児シミュレーション体験施設とかあったら、あっという間に子ども生む人減ってしまうんだろうなー。大変さだけ味わったら、こんなしんどいことないもん。しんどさを補って余りまくって御釣りがどっさり来る可愛さ・喜びがあるから、出来るんだよなぁ。
うーん、少子化って止まらないもんなんですかね。
一人でもたくさんの大人が、そんな喜びを味わえたらいいな、と思うのでした。
「失念しておりました」というフレーズを初めて使ってみた。大人の階段一歩上がれた気がした。
おいおい、もう十分大人なんじゃないの?と自分に突っ込みたい気もしますが、歳は毎年1つずつ増えて行きますが、自分の中身の年齢は25~28位で留まっているような気がしてならない今日この頃です。
これまでの会社では、余り畏まったメールのやり取りをする感じではなく割とフランクなやり取りが多かったのですが、今勤めている会社はそこそこ大きいし、かなりビジネスライクなメールのやり取りをする方が多いです。
・この件について早急に対応頂ければと存じます、とか
・御確認頂きましたら、ご返信頂けますと幸いです、とか
「存じます」って~!「幸いです」って~!
普段の言葉遣いでは絶対出てこないですが、メールではかなりの頻度で出てくる。
最初恥ずかしかったけど、今は慣れました。よく使います。
ある意味便利です。丁寧に言ってるけど、結構強引な事言ってるやん、ってことあります。「こうしてくれや!!!」っていうのを、「こうして頂きたいと存じます」って言うとね、何か優しく言ってるみたいに聞こえるもんね。便利だなぁ、敬語。
そんな感じで仕事でのメールのギアチェンジを徐々にしてきた私ですが、
「失念しておりました」
これ、相当レベル高くないですか?!
初めて「失念しておりました」ってメールで言われたとき、思わずググっちゃいましたよ、私。えっとー、確か忘れてたって意味だよなぁ。違かったかなぁ。
何か異国の言葉聞いてるようで、平安時代にタイムスリップしたようで。
玄関のドア開けたら、三つ指ついた奥様が出迎えてくれたようで。
茶室に招かれたようで。
馬に乗って散歩行きませんかと誘われたようで。
高貴な、みやびな、優美な、上品な空気がふわりと漂ってくるような。
あ~~!すいません!忘れてました~~!!てへ。
って言うのと
大変申し訳ございません。失念しておりました。
っていうの、全然違うもんね。
どんだけみやびやねん。
それで、私のギアも大分こなれてきたので、ついに先日使ってしまいました。
「失念いたしておりました」
緊張した~。送信ボタン押すの躊躇した~。
でも、使ってみたら、自分が一歩大人の階段上った気がいたしました。
自分の実年齢に、中身が少し近づいたように思います。
「大人」なフレーズも、バカっぽいフレーズも、どっちも自分の言葉として自由に使いこなせるようになったら、かっこいいなぁ~。
毎朝会うあるお母さんには頭が下がる、という話
住んでいる場所が割りと辺鄙なところなのて、移動手段は100%車。通勤も買い物も送迎もぜーんぶ車。結婚するまでは関西の二大都市へ電車20分で行けちゃうという好アクセスの所に住んでいたので、どこへでも電車。真逆の場所に住んで3年ほど経った頃、人生初のガサガサかかとになりました。パンスト破れる並みのやつ。全く歩かんからな~。どんだけ車乗っとんねん。
本題に入る前に1つ。
私はこのとっても好きなブロガーさんのこのエントリがとても好きなんです。
私たちは複雑さに耐えて生きていかなければならない。僕はこの言葉を目にした瞬間、泣きたくなった。僕が、こうありたいと思うのは、まさしくそういうことであった。態度で示すしかないと思っていたことが、言葉として自分の目の前に現れることは、なんとこうも頼もしい。私たちは複雑さに耐えて生きていかなければならない。本当にそう思う。ルービックキューブのシールを剥がしたあの時の私は、たしかに複雑さに音を上げたのだ。
ズイショさん、素敵過ぎます。
そして、私もこのエントリに出逢って初めて、素晴らしい言葉ってまだまだあって、私はまだ出逢ってないだけだけど、誰か気がついて言語化してくれて、それに気がつかせてくれるんだ、生きてて良かったって思えるのってこういう時だな、って思いました。大げさじゃなく、ほんとにそう思った。
「私たちは複雑さに耐えて生きていかねばならない」
本当にそう思う。そう思えたら、生きていくことが楽になるとは言えないけれど、自分一人苦しんでいるんじゃない、こんがらがった中に入らないといけない時もあるんだな、そんなこともあるな、って思えるかもしれない、私にとっては心の持ちように大きな変化をもたらした言葉の一つです。
で、私の住んでいるところの話に戻りまして
毎朝子どもの保育園の送迎・通勤はもちろん、車です。百パー車です。そして住んでいる地域柄、他の保護者の方も98%は車じゃないかと。98は言い過ぎかなぁ。でも今まで2~3名しか出会ったことないっす。園児は100名程はいるはずなんで。
とにかく車、車、車の人が多いです。徒歩圏内の人は徒歩で来ますけどその方たちも雨の日は車です。
が、しかし。
唯一全日自転車のお母さんが一人だけ居ます。その方には送りの時間がほぼ同じなので毎朝お会いします。ほかの交通手段で来られるのを拝見したことがないです。もしかすると、病気の時の迎えとかお父さんが車で来られることがあるかもしれませんが、とにかくお母さんと一緒の時は自転車onlyです。
うちの子どもより数か月後から入園され、半年ほどは足こぎ自転車(いわゆる電動ではないやつ)で来られてました。ある日、電動自転車をようやく購入されたようで、そこからは電動自転車で来られます。
雨の日も風の日も、多少であれば雪の日も。
もちろん夏の暑い暑い日でも。
都心とか利便性の高い土地とかなら、徒歩自転車登園当たり前でしょうけど、ここは田んぼ・畑・山林が地域の8割程度占めるような田舎ですから。計画的に拓かれた住宅街もありますが、アップダウン激しいため1人1台車保有がデフォルト多しです。
そのお母さんは、私より少し年齢が上の方だとお見受けしてます。若くて体力があるという訳でもない。
私はこのお母さんに出逢うたびに、本当に頭が下がり、そして先ほどの「複雑さに耐えて生きる」という言葉を思い出すのです。
このお母さんのお子さんは、自転車の後ろで母が一生懸命漕いでくれているのを毎日見て大きくなるわけです。雨の日は母子かっぱを着て登園するのです。
うちの子は、雨が降ってても濡れることなく車でドアツードアです。好きな音楽聞きながら登園です。
彼女のお子さんと、我が子、比較なんて出来ませんが、少なくとも彼女のお子さんはお母さんの後ろで色んな複雑さを学ぶんだろうなと思えてなりません。
人生における「複雑さ」を学べずに、学ぶ機会を与えられずに大人になっている人が沢山いるように思います。もしかすると私も十分に複雑さを知らない一人かもしれません。
辛さやしんどさをずっと我慢し続けることが「複雑さに耐えて生きる」だと安直に結びつけることは出来ないけれど、「するべき我慢」と「しなくて良い我慢」が世の中にはあると思う。その線引きって難しいし、人によってキャパ違うし、あの人は大丈夫でもこっちの人には辛いことかもしれないし。そこの判別はほんと難しいんだけども。
だからって、自転車での送迎は私には出来ないですけどね~。。。って、自転車の二人乗り出来ないミニトラウマありで。。。小学生の時、無謀にチャレンジして友達後ろ乗せたまま、こけたサイアクな人ですから、私…。ミカちゃん、あの時はごめんね。
たまには、早目の徒歩登園でもしようか、と考える今日この頃です。
excel 等で活用!マウスを極力使わないために使っている小わざ
かれこれ、20年以上excelを使っていますが、せっかちな性質のせいでとにかく早くこなしたいと思ってしまいがちな私です。
特に、マウスを出来るだけ使わない技にこだわっています。
なぜかというと、下の記事にもあるように、マウスからキーボードというのは結構距離があります。PCを使うということは、基本文字入力をする事の方が多いんじゃないでしょうか。それが前提だとすると、マウスよりキーボードに手を置いておく方が効率が良いということになります。
キーボードからマウスまでの距離はおよそ20cm。
この動作を1日に何回くらい行っていますか?
上記の記事もたいへん参考になりますが、私が使っていて特に頻度の高いものをご紹介いたします。
- 1) ALT + TABキー アプリケーション間の移動
- 2)CTRL + TAB アプリケーション内の移動
- 3)F12キー 別名で保存
- 4)メニューキー マウスの右クリック役
- 5)windowsキー + E エクスプローラー立ち上げ
1) ALT + TABキー アプリケーション間の移動
とにもかくにも、一度これを使ってみてください。
本当に便利です!
今、インターネットと写真とexcelを立ち上げているとして、 ALT + TAB を押してみてください。
そうすると、こんなものが画面真ん中に出てきます。
左からインターネット、excel、写真、デスクトップ、のアイコンです。
→押しながら、TABだけを押したり離したりすると、
→アクティブなアイコンが移動しました。
→移動したいアプリケーションの上に来たら、手を離す。
これで、キーボードの上に手を置いたまま、違うアプリケーションへ移動することが出来ます。
使ってみてもらうと分かりますが、本当に便利なのです!
何も考えず、まずはお試しください!
2)CTRL + TAB アプリケーション内の移動
例えばexcelのファイルを複数立ち上げている、インターネットのタブを複数開いている、などの際に大変便利です。
起動しているアプリケーションの画面でCTRL + TABを押すだけです。
いちいちマウスに手を持っていって、画面を切り替える必要がありません!
3)F12キー 別名で保存
これは、事務作業などで、もとあるファイルに変更を加えて、元を残して別でファイルを作成する、というルーチンワークがよくあると思います。そんな時に、ぜひ使って頂きたいキーです。
簡単です。
F12キーを押すだけです。
F12キーを押せば「別名で保存」のメニューが立ち上がります。
4)メニューキー マウスの右クリック役
キーボード、右下CTRLキーの左に大体ついているキーです。これです。
これ、使っていないひと多いと思うんですけど、めちゃくちゃ便利なんですよねぇ。ほんと、皆知って欲しい。
excelの「セルの書式設定」って、PC作業する人はみーんな使いますよね。(言い過ぎかな?)
これをメニューキーで呼び出せます。そうすると、
例えばexcelの作業中範囲選択したセル(shiftキーを使えば範囲選択出来る)の塗りつぶし色を変えたいと思ったら、メニューキーを押すと、右クリックのあれが出てきます。
そしたら ↑↓やじるしキーで、選ぶだけです。
パワーポイントやexcelやワードで、
・写真や画像と、テキストデータをごちゃごちゃ配置する
・複数の画像データを1つのページに配置し、枠で囲む
・テキストボックスとグラフとを見せるページを作る
など、文字入力をばーっとしてれば良いって作業って案外少なくて、写真・画像とテキストボックス、テキストデータを一緒に1ページに見せる資料を作る、って多いと思うんです。
画像を複数選択してグループ化、とか、excelのセルの色変えたい、あっちのテキストをコピーしてこっちのテキストボックスに入れ替える、色々やりたいことが出てきます。そんなとき、無意識に右クリック使っているんですけど、これをキーボードでやります。
特に私は複数の画像や図形、テキストボックスを選択してグループ化をする際、この技をよく使います。グループ化の際、マウスの右クリックを使うと上手く操作出来ないことが多々ありまして、それを解決するのにメニューキーを使うようになったら、そのストレスから解放されました。
5)windowsキー + E エクスプローラー立ち上げ
windowsキーって?→Windowsキー - Wikipedia
最下段左下から2~3個目辺りにある、窓の絵みたいなのが描かれたキーです。
windowsキーとEキーを同時に押すとですね、エクスプローラーが起動します。excel作業中に、他のファイル確認したいとき、この技使うとマウスんとこ行かなくて済みます。上下キーやタブキーを使うと(元のフォルダに戻る時は、Back spaceキーです!)、さらにエクスプローラ内を自由に行き来出来ます。
ちなみにwindowキーだけ押すと、スタート―メニューが立ち上がります。これも便利やねん。
これら使ってどんだけ作業早くなるかはよく分かりません!!
あとは慣れの問題もありますので、キーボードショートカットを日常的に使えるようになると、いかにマウスを使わないか!!!に注力するようになるかもです。
皆様の、PCライフの一助になれば幸いです!
私達の世代って色々通過してて、これからどこへ行くんだろう、とふと思ふ。
生まれ年はもちろん昭和です。そして40年代生まれっす。
教室の風景は今も昔もあまり変わらないように思います。
私が幼少期~これまで過ごしてきた時代は、目まぐるしく色んなものが進化していきました。その都度私はその恩恵を有難く受け取り、とにかく消費しまくっていたわけです。ふと、振り返ってみると、いわゆる現代的な物品というやつは大体通過しており、目まぐるしくそれに付き合って来たけど、そろそろ目まぐるしいの疲れたぞーとも思い出したりもし、そろそろ出てくるものに真新しさも見当たらなくなっているんちゃうん、とも感じだし、これから一体どんなもんが出てくるんやろう、とぼんやり思います。
<テレビの変遷>
こんなテレビ懐かしい~。
(さすがに白黒テレビは知らない)
ガチャガチャのダイヤルのチャネルのやつ(写真のです)⇒
ボタンがテレビに付いたやつ⇒
リモコン付きのやつ⇒
ビデオレコーダー導入⇒
地上デジタルテレビHDD付き(今ここ)
ちょっと趣旨ずれますが、面白い記事。
<電話の変遷>
ダイアル式(幼稚園の頃家に電話がくる。ダイヤル式のやつ。マンション住まいなのに何故か2台電話がありまして、よく妹と電話でもしもしーと遊んでましたな)⇒
プッシュ式⇒
子機付き⇒
FAX付き子機付き⇒
ポケットベル登場(※)⇒
携帯電話⇒
スマートフォン(今ここ)
※ポケットベル!!! 当時は画期的やった。私は学生だったが、ビジネスマンには忌々しかったらしい。彼氏とポケベルでやり取りしてたなぁ。。。自宅に帰って「101010」と打つと不気味がられた。(友人同士でこれは「ただいま」だったんだが。10=た、10=だ、1=い、0=ま、です)
<PCの変遷>
macintosh 可愛いですねー。
小学生時代伯父のFUJITSU FM- 7でゲーム⇒
英文タイプ(大学での授業)⇒
Macintoshを知人から購入し自宅にて電話回線を占領して親から怒られ(※)⇒
仕事でwidowsに触れる(今ここ)
※当時自宅の電話回線は電話での使用か、ネットでの使用かどちらかしか出来なかった。しかもネットの契約も1か月10時間いくら、とかそんな感じで料金設定されてた。くそ遅いPCで10時間なんかあっちゅーまに使ってしまう。今みたいにさくさく動きませんでしたもんね、ネットって。
<コミュニケーションツールの変遷>
交換日記⇒
電話⇒
ポケベル⇒
携帯電話・スマホ
手紙、、、すっかり書かなくなりました。。
でも、数年に1回手紙を送りたくなるときがあり、送ると喜ばれます。でも、もうほんと時代遅れなんだろうけどなぁ~。誰かへの想い、恋人じゃなくても、大切に思う友達への気持ちすら、今は時代のスピードにかき消されそうです。
平安時代みたいに、「歌を詠む」とか流行んないかなぁ。
流行んねーだろうなぁー。
ちょっとノスタルジーに浸ってしまいました。懐かしいものがいっぱいです。
私たちの子どもたちは、全て便利になりすぎたものからスタートする。楽で良いんだろうけど、不便を通過して初めてわかることもあると思うんだー、って言うのがオバハンなんでしょうな。
所詮、人間はアナログからは逃れられないはずなのですがね。
これから、どんな便利に変わって行くんだろうなぁ。
この料理食べたい~!と思って初めてのトライでは激ウマに仕上がり、2回目以降はそれほど美味しく出来ない問題
5人家族の夕飯を毎日考えるのは、割りと大変な家事なんですが、手を抜いて楽したいとも余り思わないので、惣菜や外食の類いはあまり活用しない派です。
しかしながら、献立を考えるのは本当に面倒だー。誰か毎日の献立表作って冷蔵庫に必要な材料を用意しといてくれたら、私作る役しますよー。作るだけで良かったらどんな楽やろぅぅぅ。
我が家の夕飯に頻繁に登場するメニューは、皿うどん、豚のしょうが焼き、鮭の塩焼き、そばめし、牛肉いため、ミックスフライ、冬場はおでんが多い etc. ...
たまにはこんな粗食メニューもいいかしら。
まぁ、基本子どもが喜び、作る側にも負担があまりかからないメニューが多いです。オーブン使ったり、工程がいくつもあるレシピは、あまり出てきません。
とにかく、「何を作るかを考える」ことが面倒なんですが、時々気が向くと某クックパッドさんとか、まとめサイトの「絶対美味しい!」みたいなシリーズを見て、レシピを取り入れたりもします。
で、時々レシピ見て、「あ~、これ食べたい!!」って無性になることあるんですよね、それまで作ったことがないレシピだと余計に食べたくなる。その時の気分にガチっとはまるみたいなことがあって、で、わざわざ仕事帰りにそのレシピ用の材料を買いに走ったりして、すごく張り切って作ることが、本当にたまにあります。
その時って、めちゃくちゃ美味しく出来ちゃうんですよねー。
で、その余韻を頭が覚えていて、しばらくしてまた作ってみると、「あれ?あんときの感動的な美味しさではないな…」とがっかりという程ではありませんが、何か肩すかしをくらうんです。
あれって、何なんだろうねー。
初めて作るから、無意識のうちに丁寧に作っているんでしょうか。
食べたい衝動という「気分」みたいなものが料理に入り込んで美味しくなるんでしょうか。
ビギナーズラックみたいな、ビギナーズ運のような法則が働くんでしょうか。
2回目以降が「(無意識に)雑になる」「(無意識に)大体こんなもんと思って作る」から美味しくないと思っちゃうんでしょうか。
初めて食した感動が余りに輝かし過ぎて、2回目以降は色あせるからでしょうか。
これって恋愛にも当てはまる法則かも…w
いつも新鮮な気持ちで料理に向かえたらいいんだけどな。
親として、子どもに何をしてあげられるか、を常々考えます。
うちの子が保育園にも数年通い、あと2年で小学校という年齢になってきました。
知り合いの保護者の方々も、土日はお稽古事に通わせている、という話をよく聞くようになりました。
教育ママの走りの私の母は、幼い私をあれやこれやと習い事に通わせ、何かで「芽が出たら」と思っていたようです。しかし、私は強制的にあちこちに通わされて、器用貧乏なせいでそこそこ何でも出来たおかげで、「出来ないから嫌だ」とも言えず、小学生の頃は週に3つか4つ掛け持ちでお稽古事にせいを出し、高校生までクラシックギターを続けたりもしました。
嫌ってなんで言えんかったんやろー。
って今では思いますが、その頃は「親」は絶対の存在だったし、逆らうなんて私の脳みそにインプットされてませんでしたから。
そして、そうやって通わせてもらったにもかかわらず、今、何も残っていない…。悲しいことですかな。お母さん、貴女の想いは何も実を結ばなくて申し訳ありません…。
そんな私ですので、幼い我が子におけいこ事をあれこれ押し付けたいとは露とも思っていません。本人が「やりたい」と言えば喜んでその機会を作ってやりたいと思っています。
やらせてみたいことは色々ありますが…。(女子ですが、空手とか拳法とか、礼儀作法が身に付きそうと思ったり。ピアノもええんかなぁ。楽器ないけど。売ったし。そろばんもさせたいなぁー、とか)
それで、まぁ、親として子どもに何をしてあげられるか、を結構いつも考えているような気がします。で、一番は、「社会に出たときに、活躍しやすいような”育て”が出来ないか…」という想いにいつも辿り着くんです。
先日、こんな記事を読んだんですが、(何か年収についての記事ばかり読んでいるような気がするな、、、)
幼いころの「読み聞かせ」って大事ですよーっていうのが、よくわかる記事でした。影響受けやすい私は、さっそく絵本を毎晩読んでやるようになりました(笑)絵本の読み聞かせを本気でしてみると新たな発見があって、親がこの本のストーリーめっちゃ面白い!って感じてる本には、子供も必ず食い付いて来ます。そして、絵本のストーリーって子供にも分かりやすくシンプルなのに面白いお話が多いんです。私にとっても、楽しい時間になってます、絵本の読み聞かせ。オススメです。
それから、現在私自身が四十の手習いモードに入っていて、つくづく思ったのが、
子供のうちに英語に慣れ親しんでおくに越したことないな!!と。
そこで手始めにこんなん買ってみました。
日本語は一切なし、オールイングリッシュ。何処かに出掛ける時に車で一緒に歌ったりしてたんです。そしたら、我が子ちゃん、勝手に耳で覚えて適当なカタカナ語で歌うじゃないですか!
驚きました!
そかー、子供は母語は最初全て耳で聞いて話始めるよなー、だから出来るんだなー。って頭ではわかりますが、実際に目の当たりにすると、本当に驚きます。
そして小さい子供の良いところなんですよねー、口に出してみて間違っているのが恥ずかしいと思わない!適当カタカナ語でも全然気にしない!これって最強ですね。
どんどん吸収するんだろうなと思います。
うーん、やはり英会話教室に通わせようか…。何処か探してみようかなぁー。
あらイヤだ、mymotherのような教育ママになってる?私…。うーん、子育てって複雑やなぁ。