環境からの学びをいかに糧にするかは、本人次第
自分がどんだけ恵まれているんか、っていうのは例えば職場で言えば上司が変わったり、家庭で言えば究極で例えるなら親が離婚したりしたときに分かります。
環境というのは怖いもので、置いている環境によったら人の神経をどんどん鈍らせ、精神的に肉体的にらくな環境に身を置いていると、精神的筋力も肉体的筋力も代謝も色々と堕ちて行きますな。
私自身もこれまで色んな上司の元で働き、
・そのたびにこの人には適わん、と思わされたり、
・この人の言うことは半分聞いてりゃいいっか、とあまり尊敬の念を抱かなかったり、
・何でもかんでも自分でやってくれるので、ついつい上司のサポートの甘えていた余り次の鬼上司からこてんぱんにやられて毎日泣かされたり、
・終始好い人過ぎて私が困っていることを相談して一緒に悩んでくれるまではいいけど、結局どうしたらいいのか結論出なくて頼りにならんなーということがわかっただけという人が居たり、
・はたまた終始好い人過ぎて結果うつ病になった人がいたりもしたり、
上司だけに限らず同僚という環境を見てみても種々様々で
話の分かる人もいるし話が通じん人もいるし話が合わない人もいるし、
ほんま自分の利益しか考えてなくていかに自分に負荷がかからないようにするかしか興味なくて自分の事は棚上げなくせに人のすることにはケチばっかりつけるし絶対に友達はおろか知り合いとも呼びたくない人もいたり、
常に学び学びで自分を磨きあげることに精を出しているけど、すごく不器用で転職回数半端ない人とか、
悪口でしか繋がれない可哀想な人もたくさんいて、
ほんと、人間関係を深く突き詰めれば突き詰めるほど、そこには学びというものが沢山あるのだなー。
でも、そんな学びなんかには目を向けずに楽なところだけを選びとってそこに身を置いていると、結構やりくり出来るもので、そして、そうやって自分の牙城を築いていける職場なり家庭だったら、それはもう本人にとったら、成長なんてしなくても済む楽園になってしまう。究極は引きこもりのように分かりやすい形で現れるけれど、この「楽園」の要素を人はそれぞれ自分の形で自分の中に仕舞い込んでいることって多かれ少なかれ、みんなあるはずなんですよね。私も含めて。
自己心理学のハインツ・コフートによると、
心の成長のためには、
「適度な負荷」「適度なフラストレーション」が不可欠です。
つまり、
「思いどおりにならない状況」が適度にあることこそが、
心の成長のためには不可欠なのです。
発達心理学によってわかったことなのですが、
僕たち人間の心は、
何歳になっても成長し続けることが可能です。
ですが、そのためには、
適度な「負荷」
適度な「フラストレーション」
適度な「思いどおりにならない状況」が
日常生活の中に必要なのです。
この記事の中で、とても感銘を受けて、ちょっと自分にも思い当たるところもあったりと反省もしました。
仕事や家庭などの中で、自分にとって都合の悪い(居心地の悪い)シチュエーションというのは山ほどあります。でもその都合が悪いと感じている自分の考え方そのものを客観的に見られるようになることが大切で、都合が悪いと感じている気持ちの裏側の大半は、自分が楽だからなんだろうなって思います。確かに相手に問題があることもあります。でもそれすらも、自分の心の成長につながるって思えたら無敵な気がします。
しあわせはいつも自分のこころがきめる by 相田みつを
良いこと言うなぁ~。