ちーちー

仕事育児仕事育児しごといくじしごといくじ、時々音楽ファッションDIY、あ、アロマも好き♡、んでブログ。いくら時間あっても足りん。

私が置き場を決めた場所に夫が自分の使ったものを置く件について

いつももめるんです。これで。

主人含め私以外は、基本平らな場所があったら、とりあえず物を置きます。
平らな場所。棚の上、テーブル、洗面所の隅、テレビの前、炬燵、ベッド、イスの座面、ピアノの上(注:アップライトの上じゃなく、鍵盤の蓋の上)、ノートパソコンの上、本の上、さらに床。

とにかく平らであれば置く。斜めになっていると滑り落ちるから、平らであることが絶対唯一条件。

何を置くかというと、ありとあらゆる使ったもの、使うであろうもの、使わなかったもの、買ってきたもの、食べたもの、飲んだもの、読んだもの、聴いたもの、書いたもの。

一番もめる回数多いのは、眼鏡、スマホ、飲んだコップ、それから使った鼻紙。
眼鏡、スマホ、コップなどは、床やベッドにも放置。お尻で眼鏡踏んで割ったろかな、と何百回考えたことか。いや、しませんけどね、家計に響くから。ちゃんと踏まれないとこに移動しますよ。

で、私は、どっちかというと、整頓された場が好きなタイプなんでね、生活大変なんすけど、でも持ちつ持たれつやしね。

でもね、洗面所のこの棚のこの一角は、一等地やから(洗面台に立った時に最も手が届きやすく、どの角度からも物が取れる一番良い場所のことを、自分の中でこう読んでる。)何も置かんと、例えばヘアムース使うときにちょい置きしたり、化粧水の蓋をちょい置きしたり、「一瞬場所いるとき用」にあえて場所空けとく、って決めた定位置とかがあるわけです。私はそこに何も置かない場所、と決めた場所があるんです。

もちろん、そこも平らね。

彼は平らな場所にモノを置く習性がある故に、私が「あえて空けてる場所」に、好き勝手にものをね、置くんです。ちょい置きならいいんです。でも置かれたものは、ずーとそこに居座り続けてますから、ちょい置きじゃないようです。

そして、それをそこに置いたことを忘れてしまう…。そのまま置かれたものたちはそこで数ヶ月過ごすことも。で、また、思い出したように使ったり。

乱れている状態って気持ち悪くないのかなぁ。
え?私が神経質で面倒な人なの?
いや、彼、健忘症?病気?
男性ってこんなもの?

某男性歌手のF山氏の様なスクエアーじゃないとダメだろ!ってタイプの人って少ないとは思うけど、そうは言っても男子はこんなもんなの?世の男性の意見聞きたいわ…。

自分が中心になる状態に違和感を覚えない人と、居心地悪く思う人

例えば忘年会で自分にスポットライトが当たる話題になったら、おとなしそうに見えた人が急にきらきらと輝き出して話し出す人もいるし、恥ずかげに一言二言発したら話題が終了する人もいる。

場の人数が多ければ多いほど、私は後者になってしまう。人数少なければそうでもないのですが。忘年会の席となると、絶対に話題の中心になんてなりたくない。私の話なんて、そんなおもんないですからー(。-ω-)

しかし、普段どっちかというと静かに見えるタイプでも、スポットライト浴びたらイキイキし出す人もいて、人って普段の姿だけじゃ全容わかんねーなーって思う。

私が何で後者かというと、自分物語を人に聞かせる程の価値があると思ってなくて、オチのない話なら最初からしなくていーんじゃないかという強迫観念のせいだと思う。そんなに皆は私の話、真剣に聞いてないのはわかってても、その場が盛り上がらないのは申し訳ないと思ってしまうわけで。多分大阪で生まれ育ってて大阪人て、オチないんかい!って突っ込みますんで、オチない話したらあかんのかのーという思想が刷り込まれてるんかもしれん。

だから、オチる訳でもなく武勇伝でもなくただの感想とかを、周りの人も興味あるような顔でみてないのに、喋り続けられる肝の座った人とかに出会うと尊敬してしまいます。

大阪弁でいうところの「気にしぃ」なんで、オバチャン化しない限り、ずっとこんなんなんでしょうねー。

そういえば小5の私は、古いPCゲームのマスカレードにはまっていました

って事を最近思い出した。

マスカレードなんて聞いたら、TRFの曲?安全地帯の曲?とか言われそうなんですが、そうじゃなくて、古い古いゲームのタイトルです。まだマイクロソフトWindowsを発売する前のPCゲーム。

伯父がPC関連の仕事していて、遊びに行くとそのゲームをさせてくれたんですが、今思うと、こないな難しいゲームよーしてたなぁ、と。ググると、ホントにマニアな人が記事上げてる程度。

賢者の塔 - FLOOR 46 『マスカレード』 : レトロゲームの塔 - The Tower of RetroGame

小5の私には絶対解けなかったであろう難易度。知らされていない私は無謀にも挑戦し、ワケわからんまま解いてやるー!と必死になってました。伯父の家には従姉妹に会いにちょくちょく行ってたので、その度に遊ばせてもらってた。

今はもうゲームで遊びたいと思う事がなくなりました(時間的余裕ゼロ、他にせなあかん事山ほど。ゲームの事は頭には浮かばない)。でも、この古いPCゲームで遊んだ私の活動は、割りと私の原点を物語っているなと、今振り替えると思うところがある。

伯父が何故私にこないな難しいゲーム教えてくれたかっていうと、先にファミコンで一大ブレイクしたポートピア連続殺人事件に私がどっぷりハマる姿をみて、コイツこれも行けんちゃうか、と思ったんじゃないかと。何せ小4か小5かのがきんちょが、ポートピアのヒントやらどこで何拾ろかなど、全てノートにメモをとり解くのに必死やったしwww。
そんな私にもマスカレードは、巨大にそびえたつ難易度高いゲームでした。命令は英語やし(それも伯父に教えてもらっていた。しかし中学の英語の成績は散々。何故に!?)持てるアイテムの数制限あるし。結局、私は小5、小6の夏休みで従姉妹んちに遊びに来ている間には解けずのままフェードアウト。
でも、不透明な霧の中を謎を解いて視界が拓けるような達成感、パズルを一から組み立てるような難解さ、わからないなりに何かしら行動を起こす冒険心。そんなものを総動員して、わくわくしながらゲームしていた記憶がある。

うん、あの頃の私に既に今の原点があるように思えるのは、とても嬉しい事です。今現在、残骸として残っているのは、相棒やサスペンス、刑事物のドラマなんかが好きで夢中で観てるって事ですかね(笑)

世の中の暗い闇の部分について知ること

私は幸い大きな不幸に見舞われる事なく、これまで比較的平和な人生を送って来ました。それは本当に有難い事で、神様に感謝したい。

ところで最近、こんな記事を読みました。(ヘビーな内容と思う人も居ると思うので、それを踏まえて読んで欲しいと思います)
www.asahi.com

こういった世の中の暗い闇の部分について、私達はネットも見ない、テレビも見ない、ラジオも聴かない生活をしていたら、知ることはきっとないでしょう。(人づてで聞くことも考えられますね)でも、今はそこかしこに情報を知ることの出来る装置が存在します。皆が、それを知らせてくれる。それを知らせることを職業にしている人も沢山いる。人のうわさが好きな人も沢山いる。
私もこの記事を、ネットニュースが配信されるアプリから読みました。正直、後でこれ読まなきゃ良かったかな…と少し思いました。これを知ったから、私達どうしたらいいんだろう、こんな極端な出来事を聞かされて、何をしたらいいんだろうと。

先日障害者施設での残酷な殺人事件が起こったり、それこそ親が子を殺す、子が孫が親を祖父母を殺す、なんてことはもう日常です。そんなニュースがない日がない。世の中は暗い暗い闇だらけなのかとも思わされます。もちろん、世界には悪いニュースも良いニュースもどちらも存在し、その量・質というのが半分半分だったらまだましだなと思いますが、やっぱり悪いニュースは非常に残る。頭にも心にも残ります。

私は、数年前に自分が継母になりました。シンデレラに登場するあれです。シンデレラをいじめる悪い母親です。継母という言葉が持つイメージは、あまり良くないんじゃないかと思います。実際、自分が自分のことを改めて「継母」と認識すると、他人事のようで、なんだかなぁ~と思ってしまうのです。でも、一応特に子供が私に噛みついたり殴ったり押し合いへし合いしたり、私が子供たちのことを押入れに閉じ込めたり寝ている間に枕を押し付けたりご飯を与えなかったり、なんてことは今のところありません。子供特有の思春期の面倒くささはあるものの、何とか平穏無事にステップファミリーをやっています。

それもこれも、周りの人のサポートやお互いの思いやり、それから神様のご加護のおかげと感謝しています。

それはそうとして、ステップファミリーだから残忍な殺戮が起きた、とか、両親が離婚し親の生活態度が子供を狂わせ殺人に至らせた、とか、そんな分かりやすい原因で持って、人は凶行に走るかというと、そういう訳ではないんじゃないかと思います。日常のささいな行き違いとか、考え方の擦れ違いとか、コミュニケーションの希薄さだとか、どんな家庭・人間関係にも潜むちょっとした問題点が何年も積み重なって、何かの拍子に爆発することだってあるんだと思います。そして、それは自分の身にも起こりうることだということ。

人は良い面ばかりじゃない。暗い、悪い面だって持ってる。私も。でもやっぱり良心が働いて、悪い行動をさせなかったり欲を抑制したりしているから、平穏でいられる。
でもその歯車が狂うことだって、いつでも可能性としてはあるんですよね。

暗くて本当は聞きたくないニュースも、実際に起こったこととして聞くと、あぁ人ってそんなことをしてしまうんだ、と立止って考えるちょっとした瞬間になるわけで、いつもいつもテンション高くイェーイ!楽しいぜ、ウェーイ!と毎日楽しく過ごしているところに水をさすかもしれないけれど、やっぱり人類皆兄弟、生物として同じ仲間が、犯した間違いについて知るということには、意味があるのかなと、思うことにしました。

本当は、暗い闇の出来事なんて、この世から無くなったらいいのに、って思ってますけど。
そんなお花畑な社会というのは、きっと存在出来ないんだろうなと思います。

数字の書き取りが下手ですねん

最近気がつきました、自分の弱点。。。

数字をメモするのが下手。

特に仕事等で困るのですが、電話を受けて用のある人が不在の場合、メモを残しますよね。で、折り返し電話欲しいという内容のメモだと、相手の連絡先をメモしなくちゃいけないんですが、その時が一番困る。

相手が数字を読み上げる音声を、正確に文字にするのがとても下手なんです。
因みに、電話のパネルに表示されている数字を書き写すのも、けっこう苦手・・・・。

昔、ゲームで脳トレ流行りましたけど、数字をカウントしたりとかのやつ、あれ苦手やってんなぁー。そろばんもやらされたけど、全然面白くなくて苦痛やったなぁー。

PCのキーボード入力は得意やし、数字入力もさほど遅い訳ではなく、普通より随分早い方なんやけど。聞いたり見たりした数字をすぐに書くのが苦手なんやなぁ。

学校で黒板の板書、そういえば、「見て書く」の動作の回数多かったような…。脳に一時的に残す記憶装置のキャパが少ないんかな。

四十過ぎてこんな気付き、遅いですね…。いや、年齢の問題か?!

結婚に向いてる男子は女子を選ぶ嗅覚にも優れているのか?それとも女子が結婚向き男子を嗅ぎ付けるのが上手いのか?

私は数年前に晩年結婚をしたクチなんですが、これまでの会社でも今の職場でも、それはまぁ、独身女性が大変多かったし、今の職場も多い。

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いや、結婚が人生の全てと思っているわけでも私はなくて、今の職場は男性比率が大変高い会社なのですが(恐らく女子20%位です)シングルウーマンはずっとシングルで、次々入ってくる男性社員(新入社員・中途採用含め)は、ほぼ9割 既婚です。新入社員も入社当初は未婚ですが、入って2~3年で学生時代からの恋人と結婚する、というパターンではまっています。
特に今の職場の人々は理系男子なので、理系男子でまともに企業に就職出来る男子というのは、基本モテそうだなと思うのですが、それを差し引いても、一人くらいずっといるシングルウーマンに恋心を抱いてもいいんちゃいますのん、とも思うのです。

しかし、そうならない。

そして、ずっといるシングルウーマン達は表沙汰にはしないが、心の奥底で結婚願望がちゃんとある。

えー?ここにいる女子たち、結婚向きじゃない匂いとかさせてんの?おぃ!そこの男子新入社員!1人くらい、ここにいる女子達に興味持ってもえーんちゃうの?え?僕ら、結婚向きな女の子もう側にいます?早くも学生時代に見付けた?

ほんと、世の中ってうまくいかないもんですねぇ~。

でも、正直、ずっといるシングルウーマンの皆さまは、成るべくしてそうなっているように思えてならないんです。本当に本当に本当に、心の底から結婚したければ、やっぱりそれまでの自分についてもっと真剣に考えると思うんですよ。結婚って、相手を選ぶ作業と、特にシングルウーマンの皆さまは思っているんじゃないかと思いますが、否。相手に選んでもらう作業が大事なんです。そこを履き違えるから、結局結婚に手が届かないんじゃないかなー、なんて思ったりします。

最近「こじらせてる」とかいう言葉が流行ったり、とにかく結婚・未婚・独身、っていう分類わけには皆関心が高くて、私もそのうちのしがない一般市民の一人です。男女共、こじらせてる人ってほんと多いです。事実として、女子・男子とも結婚に向き不向きな人って分けられるっていうのはあると思います。

でも、でもね、私も含めてなんですけど、結婚って「タイミング」だなって思ってます。機が熟するというのかな。心の準備が結婚に向かって仕上がっている時。その時に、お互いがそう思えると結婚に進んで行くんだと思います。
ですから、自分自身を磨くだとかに手を抜かずに自分自身の準備をしたうえで、然るべき「タイミング」が来たら、パッとそれに乗る!時には勢い大事です。

だから昔のお見合いなんて、ホントよくよく考えられた「丁度いい良い加減なシステム」だったんですよね。バカには出来ないねぇ。

みんな結婚したいんだったら素直にそう振る舞えばいいのにね。恰好付けるからこじらせるんですよね、きっと。

人の好意に甘える人が傍にいるとやっかいだー。

えーと、人の好意に甘えるばかりの人の話を書きます。

例えば仕事で、自分しか出来ない仕事/自分じゃなくても出来る仕事ってありますよね。でも、「自分じゃなくても出来る仕事」なんだけど、手が空いていたりやっぱり自分でしておきたい、などの理由で、なんでもかんでも人に任せる、ってことは、私の中ではあまりない。逆に言うと、私は「あまり人に頼らない仕事の仕方をする」方だと思う。

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これが、そうでない人がたまにいる。
しかもそういう人に限って、自分は特に立て込んでる訳ではない。なのに、人に任せる。
なぜか。
推測するに、育った環境なんじゃないかなぁーと思う。
あの子、これをさせたら可哀想。
あの子、これをさせたら大変。
あの子、これをさせたらしんどい思いする。
あの子、これをさせたら息切れする。
あの子、これをさせたら嫌な気持ちになる。
という、保護する側の想い。

とにかく、わが子に負荷をかけまいと親が必死になって先回りをし先に気持ちを予測し、結果何もさせない。何もひかない。それはウィスキーのCMやん。とにかく、子供が苦しくないように、子供が辛くならないようにという気持ちだけで親が身の回りを片づけ、本人がすべきところを代わりに親が手を出してしまう。

周りが好意に囲まれた環境で育つと、いつもそこに好意って転がってる、って、特別な事でなくて自然にそこにあるものと思っちゃうんでしょうか…。

隣の席に座っている、私の隣人さんはどうもそんな人らしい。
ちなみに2人の子供のお母さん、四十手前。

そうやって大きくなるのって、本当に幸せなのかなぁ。
結局後でしんどいのは本人なのになぁ。

人を一人大きくするのって、ホント大変な作業ですね。
親の方も一緒に成長していかねばなりませんね。